大の里が十両にスピード昇進し、今後の活躍や出世が期待されています。
大の里はアマチュア横綱のころから活躍していたようですが、どのような学歴を歩んできたのでしょうか。
小学校から大学までの学歴を出身地とともにまとめてみましたのご覧ください。
大の里の出身小学校は津幡小学校!
引用元:FNNプライムオンライン
大の里関の出身小学校は、石川県津幡町立津幡小学校です!
引用元:Google マップ
引用元:ホームメイト
石川県金沢市の北東に位置している津幡町が大の里関の出身地です。
大の里関は小学校1年生から相撲を始めたそうです。
大の里関は、津幡町少年相撲教室に所属して練習に励んでいたそうです。
今でもその相撲教室に顔を出しています。
引用元:FNNプライムオンライン
ここが大の里の相撲の原点で大切な場所なのでしょうね!
大の里は小学生のころから体格には恵まれていたようですが、早くも壁にぶつかります。
「小学生で牛丼大盛り3杯食べていた」大の里は同級生より常に頭一つ大きく、相撲でも負け知らず。
しかし、小5になるとライバルが力を付けてなかなか勝てなくなり、相撲への情熱が冷めかけたことがあった。
引用元:北國新聞 (hokkoku.co.jp)
大の里が初めてぶつかった壁をどうやって乗り越えたのか、気になるところかと思いますが、後述いたします!
大の里の出身中学校は能生中学校!
引用元:中日スポーツ・東京中日スポーツ
大の里の出身中学校は、新潟県糸魚川市立能生中学校です!
引用元:Google マップ
引用元:ホームメイト
大の里関は中学校で頭角を現しました。
中学校3年生のときに北信越大会で優勝、翌週の全中で3位。
白鵬杯で全国初制覇という成績をのこしました!
大の里の出身高校は海洋高校!
引用元:笹川スポーツ財団
大の里関の出身高校は新潟県立海洋高等学校です!
引用元: Google マップ
引用元:新潟県立海洋高等学校航海日誌
中学校と同じく新潟県糸魚川市にある海洋高校へ進学した大の里関は、引き続き相撲に集中していました。
引用元:笹川スポーツ財団
大の里関は、高校1年生の時に全国高校総体個人戦で準優勝。
高校3年生で十和田大会で優勝を果たしました!
しかし、全国優勝は1回のみで、2回以上優勝できなかったら進学すると決めていた大の里関は、大学進学を選びました。
幼いころから相撲に取り組んできた大の里関は、自らその進む道や目標をこのころにはしっかりと定めていたのですね。
このエピソードからも相当ストイックであることや意志の強さを感じます!
大の里関の出身大学は日体大!
引用元:北國新聞
大の里関の出身大学は日体大(日本体育大学)です!
引用元: Google マップ
大の里は、日体大在学中にアマチュア横綱で2連覇を果たします!
そして大相撲入りを表明して二所ノ関部屋に入門が決まり、日本相撲協会理事会で入門が承認されました。
大の里が石川出身なのに新潟へ進学したのはなぜ?
大の里関が地元の石川県ではなく新潟県への進学を決めたのは、なぜだったのでしょうか。
それは、「相撲だけに集中するため」です!
大の里関が小学校5年生で相撲への情熱を失いかけたころ、活躍していた先輩の活躍を見て、能生中学校へ進学することを決めたそう。
その頃、テレビで知ったのが、穴水町出身で新潟・海洋高相撲部に進んだ三輪隼斗さん(ソディック)の活躍だ。
全国王者を目指して稽古に励む同郷の先輩の姿は、相撲少年の心に火を付けた。
知幸さんから見ても「目の色が変わった」大の里は、三輪さんが相撲留学した糸魚川市の能生(のう)中への進学を決めた。
引用元:北國新聞
小学校高学年で相撲に集中するために親元を離れようと決めた大の里、決断力や意志の強さがうかがえますね!
まとめ
大の里関は、石川県の津幡小学校から、新潟県の能生中学校と海洋高校を経て日体大を卒業しました。
小学校高学年の時に、相撲に集中しようと決意し、石川県から新潟県へ進学していました。
大の里関はその都度壁にぶつかりながらも、その強い意志と努力で新十両へ昇進していました。
ますます大の里関の活躍に注目していきましょう。